アーティスト・吉原凜のプロフィール

 

私は現在、夫とワンコ二匹と一緒に暮らしながら、カルチャーセンターなどではがき絵教室をしたり、ギャラリーでのグループ展に出展したりと、絵を描きながら活動しています。

2019年 アブダビでの展覧会にて

でも、私がこうやって本格的に絵を描き始めたのは、40代後半からなんです。
絵を描くという選択肢は私にはないと思ったこともありました。

というよりも、別の生き方しか私には見えていませんでした。

でもそこで挫折することで、ゆっくりと絵を描くという世界に導かれたように思います。

美大などには行っていない私が絵を描くようになった経緯や私のこれまでの人生について少しお話してみようと思います。

Contents

幼い夢を描いた子供時代

 

私は1970年8月に福岡県北九州市で生まれました。
もうかれこれ半世紀近く前のことですww

その三年後に弟が生まれ、両親と弟と4人家族となりました。
子供の頃は、人見知りしない誰にでも話しかけるような性格だったようです。

両親は共働きだったので、私は常に弟を連れて友達と外で遊び回ったり、祖父母にかわいがってもらっていました。

気が付くと絵を描くようになっていて、学校に行く前にも帰ってからも家にいる時にはいつも描いていたように思います。

当時は少女漫画を読むことや描くことが何よりも大好きだったので、クラス新聞の四コマ漫画を任されたり、挿絵を描いたり、文集の表紙を描いたり、将来は漫画家になりたいと思うようになっていました。

中学一年生の時の美術の先生が大好きで、今でも授業でデッサンした自分の上靴の絵を覚えています。

ところがその頃はヤンキー全盛時代で、私たちの学年は特に校則が厳しく、中二の時の美術の先生に目を付けられていた私は(ヤンキーではなかったのですが!)その先生が嫌いで、美術の授業も面白くなくなっていったのです。

両親は生活のために働くことに必死で、私の将来の夢などに耳を傾ける暇もないように見えました。

やることすべてが楽しかった東京生活

次第に絵を描くことがなくなり、絵に対する興味も薄れていきました。

将来何をしたいか考えることもなくなり、漫画家になりたいのは昔の事だったと思うようになったのです。

寮生活だった短大を卒業後、東京で就職すると、何もかもが刺激的で今まで生きていた狭い世界から一気に解放されました。

ひとり暮らしでの東京生活はいろいろな事を経験したし、いろんな意味で自立出来るようになり、今思い出してもすべてがキラキラしていたような時間でした。

それから東京での生活も一区切りをつけようと思った時に、ワーキングホリデーの情報を知り、海外に行きたい、これが私のやりたかったことだ!と雷が落ちたような衝撃を受けたのです。

二年後、海外で生活できる程度の英語力を身に付けて帰国。
これからは英語で生きていくんだという意気込みも空しく、あっけなくその夢は消えていきました。

その間暮らした実家での生活は精神的に相当に苦しいものでした。
いわゆる自暴自棄で、自分が何をしたいのかも分からなくなり、先も見えず、親との関係は最悪で、結婚という周りからのプレッシャーに飲み込まれそうにもなりました。

結婚で変わった私の人生

本当に素晴らしい人とご縁があって、ここから私の人生は変わっていきます。

でも、入籍したのはなんと!42歳になる一か月前でした(≧▽≦)
子供には恵まれませんでしたが、もし授かっていたら絵をまた描きたいとは思うことのない世界にいたでしょうね。

しばらくして会社勤めを辞め、自分の時間が持てるようになった時に、母が通っているはがき絵教室に通うようになりました。

実はまだ私が幼い頃に、母方の祖父が私の絵の才能を伸ばしてあげるようにと母宛に手紙を書いていたのです。
しかも、その手紙を母はずっと持っていて私にも読ませてくれました。

それから、祖父の想いをなんとなく意識するようになり、月に一度でしたが絵手紙教室に通うようになりました。
ところが、水彩絵の具の使い方が分からず、初めて描いた栗の絵は・・・実にひどいものでした!!

思うように色が塗れるようになるまでには長くかかりましたが、それでも私にとっては絵を描く楽しさを少しずつ思い出していくための大切な時間だったようです。

はがき絵教室開講~現在まで

それから二年半後、知り合いの方の後押しがあり、市民センターなどで自分のはがき絵教室を開講しました。

時々今でもふと、あの程度のスキルでよく教室を開いたなとは思いますが、もっと上手くなってから始めようなんて考えていたら一生出来なかった事だとも思っています。
私の人生の中で思い切ってやってみて良かった事の一つです。

そこから、絵を描いてほしいと依頼されたり、イベントでワークショップをやったり、少しずつ活動の場を広げていきました。

友人の紹介で、二度ほど海外での日本人グループ展にも参加しました。
そのうち一度は、審査員特別賞を受賞することができ、絵を描くこと以外にも本当は別の道があるんじゃないかなと考えることもあった時期だったので、絵描きを続けていく勇気をもらった出来事でした。

特に母はやっと祖父に良い報告が出来るとほっとしたみたいですw

自分は何をしたいのか、自分が出来ることってなんだろうと延々と悩んでいた頃の私に、「こんな歳になったけど、やりたいことが見つかったよ」って伝えてあげたいですね。

そして、自分の可能性を信じて、これからますますアートを通していろんな事にチャレンジして、なりたい自分に近づいていけたらいいなと思っています!

このサイトのコンセプトでもある、“絵を描くことで広がるハッピーアートの世界”をたくさんの方にお伝えしていくことが私のライフワークです。

主な展示情報

2019年10月 QUALIART主催 8th Discover the one Japanese Art 2019 in Abu Dhabi
出展 審査員特別賞受賞
2019年12月 QUALIART主催 第二回藝展 出展
2020年4月 QUALIART主催 第二回藝展 日・チェコ交流100周年記念 出展予定

 

 

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